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研修医1年目の小出先生の論文が、レジデントノート2月号に掲載されました

研修医1年目の小出先生の論文が、レジデントノート2月号に掲載されました。

 

見逃されやすい舟状骨骨折をどうやって診断するか、山川先生の指導をうけ、立派にまとめてくれました。

手をついて転倒した若い男性、偽関節になることもあり、見逃してはいけない骨折です。

https://www.yodosha.co.jp/rnote/gazou_qa/index.html

2019年01月11日(金)| NEWS

中尾教授の新年のご挨拶

DHに思う


ご存じのとおり、指名打者(DH: designated hitter)は、野球の試合において攻撃
時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをさします。我々が現役のこ
ろDH制度はまだ西医体では採用されておらず、守備が下手であった私はよく先輩から
もDHがあればなあ、と残念がられたものです。かつては、試合で活躍する選手はどう
しても守備優先になり、打つだけ、走るだけ、という個性豊かな選手はなかなか日の
目を見なかった時代がありました。ところが、このDH制は、「守備はあまり得意でな
いからやりません」というのを許してしまったのです。投手は投げることに専念し打
席にも入らなくてよくなりました。野球も高度に専門化し、攻撃的でより緻密な競技
になりました。



DHの波は医療の世界にも波及しました。臓器別、疾患別に高度に専門化した医療は、
患者さんにとっても恩恵が大きい反面、専門志向の高まりとともに、「専門外だから
診ません」という医師が医療現場にあふれてきました。

内野の後ろには外野手がいてくれますが、打席には自分ひとりしかいません。打席に
立って、「カーブは専門外ですから打ちません」と一度もバットを振らずに撤退する
人はいないでしょう。変化球は得意ではないけれど、なんとか次の塁にランナーをす
すめよう、次につなぐために必死でボールに食らいつくでしょう。これはまさに我々
救急医がやっていることと同じです。


一方で、外野フライを内野手が深追いして、外野手と衝突し長打にしてしまうことが
あります。自分の守備範囲ではないのに、無理して取りに行くとかえって損失を大き
くしてしまいます。確実に打球を処理できる守備範囲を広くするため日々努力をし、
それでもとどかない場合には、残りの野手に的確な指示を出し失点を最小限に抑える、
これは、まさに我々救急医が日常的に行っていることです。



医学も野球も細分化される昨今ですが、走りこんで強い足腰があるからこそ粘りがあ
るプレーが出来ます。走攻守完璧であるのが理想ですが、そうでなくても、走攻守しっ
かり鍛錬した基礎があってはじめて名投手や好打者たりうると思うのです。
小手先だけの技術ではなく、打つ側の、投げる側の、守る側の気持ちを理解して、自
分の限界も知ったうえで全力でプレーする選手が、ここぞというとき最も力を発揮し
活躍してくれます。それは医療の世界でも同じ、広い視野で診療科の垣根を超えて患
者さんを診療し、日々鍛錬を重ねてこそ、高い問題解決能力をもった医師になれるの
です。それがまさに我々救急医だと信じています。

2019年01月09日(水)| NEWS

2019年2月9日(土)日本救急医学会認定『ICLSコース』が開催されます

2019年2月9日(土)、
日本救急医学会認定『ICLSコース』が開催されます。

救命救急科より、
中尾篤典先生・万代康弘先生が参加予定です!

「突然の心停止に対する最初の10分間の対応と適切なチーム蘇生」を
習得することが目標です。
あらゆる医療者が身につけておきべき、
蘇生の基本的事項を習得できるようにしています。

今回の開催は、井原市民病院となっています。

2018年12月27日(木)| NEWS

中尾篤典先生の執筆が掲載されています

サノフィe-MR 医療関係者向け情報サイトへ、

中尾篤典先生の執筆が掲載されています!


救急医が語る 現場の「あるある」

中尾篤典先生が現場で目撃した驚きの症例や意外な「救急あるある」を、

さまざまな医学論文をひもときながら紹介しています。

今回は、

~フグを食べて救急搬送、その意外な理由とは?!~

https://e-mr.sanofi.co.jp/useful/aruaru/aruaru01

 

2018年12月27日(木)| NEWS

総社市長 片岡さんにお会いしてきました

昨日で西日本豪雨で設置された避難所、同時に災害対策本部もすべて閉鎖され、
復興途中ではありますが、一応の落ち着きを見せています。

被災者の方にとっては辛い冬でしょう。

こんなひどい経験をされたので、もうこれからいいことばかりおきるはずです。
来年、これからの日々はとても幸せであるように心から祈っています。

 

総社市長の片岡聡一さまから感謝状をいただきました。
力不足ですが、被災地への思いが少しでも届けばと思っています。

 

片岡市長は、3年前、岡山に単身赴任してひどい生活をしている私をみかねて、
カレーやたけのこご飯を直々に届けてくださいました。涙ながらに頂いたのを思い出します。

 

今日、総社市へ患者さんの転院搬送にいったとき、片岡市長さんから
「市役所においで、カレー作ったから」とLINEがあり、いただいてきました。
救命センターのみんなでおいしくいただきました。

片岡市長さん、いつも本当にありがとうございます。

 

 

 

2018年12月14日(金)| NEWS

救急医留学記(西村 健先生より)

羽田空港を出発した飛行機は予定時間を約1時間遅れミネソタに到着。
見事トランジットに乗り遅れ、深夜0時にピッツバーグ空港に到着。
2個のスーツケースを引きずり危険なアメリカの街を汗だくになりながら約1時間歩き予定のホテルに到着。ここから僕のピッツバーグ生活が始まりました。




平成21年に岡山大学医学部医学科を卒業し、神戸で初期研修、外科専攻医を経た後に兵庫医科大学救急部で救急医としてのキャリアを開始しました。
ここで現在の岡山大学救急部教授の中尾先生と初めて一緒に仕事をさせて頂き、今に至るまでご指導を頂いています。

突然中尾先生から「英語の論文を書いてみろ」と言われ気が動転したのを覚えています。
時間をかけてやっとの事で初めて書いたちぐはぐな英語論文は、中尾先生の編集により全く別の洗練された論文に生まれ変わりました。
その時に“Academicな外科医になりなさい”と教えて頂き、今でも教訓として心に留めています。
その頃から研究や論文を書くことに自然と興味を持ち始め、同時に漠然と海外に留学することも目指すようになりました。
救急医として臨床を行いながら、岡山大学大学院にも社会人大学院生として通っていました。
週末の授業が中心であり、働きながらでも決して無理のないスケジュールで大学院生を継続することができました。
留学する機会を伺っていた、私は内藤准教授からの紹介で過去に中尾教授、内藤准教授が留学されていたピッツバーグ大学にご縁を頂き、
2018年7月から留学することができました。



研究の前任者がいるわけでもなく引き継ぎも無いためまずは生活を立ち上げなければなりません。
英語に苦労しながら少しずつ生活環境を整え異国の地で家族とともに生活する基盤作りをしました。
スーパーでの買い物から始まり自動車免許の取得など、ピッツバーグの住人として生きていく術を少しずつ獲得していきました。
幸いにもピッツバーグは比較的治安も良く、日本人も多く住んでいます。
心配していた子供の学校のことなど、たくさんの情報を直接得ることができました。
こちらの日本人は医療職種の方のみではなく企業からMBAの取得のために留学している方も多く、
日本では接する機会の少ない他業種の方々とも家族ぐるみで付き合いができ刺激になっています。


研究オフィスは病院のすぐ近くにあり、時折病院にも顔を出しています。
日本で言う病院前救急活動(Emergency Medical Service)にも参加し、アメリカの救急救命士とヘリコプターで患者搬送も経験できました。
Visaの関係で患者の治療には参加できませんが、治療の流れは日本で行うのと大きな差はないため、見ているだけでも日米の差などを考えながら十分に勉強になっています。

ピッツバーグの研究オフィスの人たちは非常に優しく接してくれています。


現在のテーマは「抗凝固薬使用中の患者の外傷予後について」ですが、わからない部分は同僚たちが優しく教えてくれています。
みんな留学生の扱いにも慣れており、英語が達者でない私でもコミュニケーションを十分にとれています。
データは莫大で整理するだけでも多大な時間を要していますが、周りの協力を得ながら少しずつ研究も進んでいます。
所属している救急部には医師だけではなく研究を主導またはサポートする人達がたくさんいて、
みんなで支え合いながら発表、論文化を目指すシステム作りができています。
特にここピッツバーグ大学救急部は心肺蘇生の研究が盛んであり、
Professor のDr. Clifton CallawayはAmerican Heart AssociationのLifetime Achievement Awardに選ばれるほどの素晴らしい研究者でかつ臨床医でもあります。
人柄も素晴らしく、Thanksgiving dayには一家で自宅に招いてもらいました。

医学研究も大事ですが、異文化と接することや異国の人とのつながりを強く感じることができるのも留学の醍醐味の一つだと考えています。




渡米して約5ヶ月がたった今ピッツバーグは雪も降り始め、日本よりもひと足早く厳しい冬の到来を迎えました。
街にはクリスマスツリーが飾られ、アイススケートリンクも造設されています。


夏から冬と怒涛のように過ぎているピッツバーグ留学ですが、この間に悲しい事件も起こりました。
2018年10月18日、治安の良いとされているピッツバーグでユダヤ教徒を対象とした大量銃撃事件が発生し、11人の方が犠牲になりました。
休日の午前中に突然全国ニュース番組でピッツバーグの街並みが映りだされ衝撃的な事件の内容を伝えていました。事件が起きた場所の周辺は数日間封鎖され、警察官やパトカーが行き来する騒がしい街へと変化しました。

最近はやっと日常をとりもどしましたが、自宅の目と鼻の先で起きた悲惨な事件はピッツバーグの人たちに深い傷を残したと同時に、人々の絆をより強固なものにしました。
街のいたるところで見かける「Stronger than Hate」というフレーズは差別や偏見と戦うピッツバーグの人々の合言葉にもなっています。
日本ではあまり経験しない、多くの人種や宗教観をもつ人々が同じ街で生活する難しさを痛感しています。


留学中でしか経験できないこのような貴重な経験が今後の自分の医者人生をより充実したものにする助けになると信じ、今は研究に明け暮れています。



2018年12月12日(水)| NEWS