センター長あいさつ
Greeting from Professor

ご挨拶

平成28年4月より岡山大学救急医学教室の教授を拝命いたしました中尾篤典と申します。私は外科医として約10年のキャリアを日本で積みました。その間に臓器移植に興味を持ち、2000年からは移植の中心であるピッツバーグ大学へ渡り、臓器移植の研究に打ち込みました。アメリカに永住するつもりでおりましたが、2011年東日本大震災で南三陸へ医療支援のために派遣され、それを契機に学生時代に志した災害救急医療の世界に入り、現在に至ります。平成30年4月1日からは、救命救急・災害医学講座と改名し、災害医療にもより力を注いでいく所存です。

救急車はびっくり箱のようなもので、開けてみるまで何が入っているかわかりません。その箱を開けるのには常に緊張を伴いますが、その中には医療の原点があります。昨今、医療は高度化・専門化するあまり、各専門科の領域間が空白化するので領域をまたぐ総合的な問題解決能力をもつ救急医の需要は益々高まる一方です。しかし、岡山大学がカバーする医療圏では、災害医療、病院前診療やメデイカルコントロール、地域医療をも担う救急医は圧倒的に不足しています。特に中国四国地方は、現在でも中規模から大規模の公的病院であっても、一般診療科・麻酔科の先生方が救急科領域も診療しておられ、それにより辛うじて救急医療体制が維持されているのが現状です。

救急は地場産業であり、人口の減少に反して救急搬送数は増加し続けています。今後超高齢化社会を迎えるにあたっては、これまでとは違った救急医療が求められてくるでしょう。救急医は最も死に直結する診療科でもあり、Quality of Death、いかにして死を迎えてもらうか、を考え、診療にあたることも大切です。不幸にして脳死になってしまった患者さんに、最高の終末期医療を提供することで臓器提供につながる場合もあります。

「お断りしない」ことを目標に救急医療を行うのでなく、結果として「お断りしないでもよい」体制を整え、自らの守備範囲と緊急度・重症度を考慮して、迅速に対応することができるスキルをもった救急医を養成し、地域にお返しするのが最も大きな役目であると考えています。

同時に、一人前の立派なリーダーとなるような救急医には高い学術への興味、貢献が不可欠です。臨床医として素晴らしい腕を持った医師でも、研究や論文などの業績がないために後輩を指導する機会が与えられず、発信の機会が乏しくなってしまうことがあるのは大変残念なことです。岡山大学では将来リーダーとなって地域の救急を牽引する人材を育成するために国際学会での発表、英文雑誌への投稿などを全面的にサポートし、キャリアに必要な学術要素を満たせるようにしています。心身ともに健康な若い救急医の先生方は日本の宝です。リサーチマインドをもった、Academic Emergency Physicianが一人でも多くこの日本に生まれることを望んでいます。

岡山大学医学部の歴史の中で最も若い診療科は救急科です。若いからこそ、元気で明るくなければと考えております。従業員やその家族を大切にしないと顧客も幸福にすることは出来ません。岡山大学病院高度救命救急センターはスタッフを第一に考え、常に笑顔で明るく太陽のような温かさをもった存在であり続けたいと思います。ここには素晴らしい仲間と機会があります。

医学生のみなさんへ

医師を目指し、毎日講義や実習に追われていることでしょう。その合間にスポーツや適切な息抜きは必要です。有意義な学生生活を送り、西医体や東医体で立派な成績を残すことも大切です。私は野球部の部長をしていますが、部員たちがけがなく、いい思い出を作れるようにサポートすることが我々教員の役目です。

一方で、我々はいい医師を輩出する義務もあります。

医学部の高学年が救急科の実習にきたときには、興味に目を輝かせ、どんな症例でも診てあげようと思うでしょう。ところが、研修が終わり、専門科を選んだときあたりから、だんだん救急車を診るのが怖く嫌になってきます。目の前で人が倒れるシュミレーションは、何度も学生のときにBLSで経験しているはずなのに、なぜか心肺停止の患者さんを診れなくなってしまうのです。いまだに、心肺停止の方の救急要請は、10件以上の病院に断られ、たらいまわしになる例があとをたちません。

救急車には、年齢、性別、時間に関係なく、さまざまな訴えの患者さんが乗っています。怪我をしている人、心肺停止の人、ぐったりした子供、など急病をすべて扱わなければいけません。「専門でない人が見て、責任が取れるの?」とよく言われます。「救急医をやりたいんです」と先輩に相談してみてください。多くの専門診療科の先生は「そんな馬鹿なことはやめておけ」と言われるでしょう。

救急科専門医は、病気、けが、やけどや中毒などによる急病の方を診療科に関係なく診療し、特に重症な場合に救命救急処置、集中治療を行うことを専門とします。つまり、我々救急医は、急病を診るのが専門なのです。「急病は何でも診る」というのは、簡単ではありません。ですから、普段から診療科に関係なく診れるように研鑽をつみ、病気やけがの種類、治療の経過に応じて、適切な診療科と連携して診療に当たらなければいけません。責任は問うものではなく果たすものです。責任が果たせるように、自らを磨けばいいのです。

「絶対断らない救急」を掲げて頑張るのは大切です。ですが、自分が診れないものまで、無理をして患者さんを危険にさらすほど愚かなことはありません。結果として、断らなくてもいいようなシステムや豊富な医療資源があればいいのですが、自らの守備範囲をよく知ることが最も大切であり、救急科はそれを最も大切にします。

救急科専門医をはじめとする救急医は、さまざまな能力をもっています。目の前の患者さんにスピード感をもって接することはもちろん、その病態に対する最速・最大限の治療を熟知し、現段階でどの程度までの治療が適切かを即座に判断できる能力だと思います。それはすなわち、地域医療・在宅医療にも必要な能力です。すべての患者さんに最悪の事態に備えた検査をすることなく、検査と治療を同時に行いながらスピード感をもって診断をすすめていく、それが救急医学の醍醐味です。

すべての先生が大学病院のような大病院で生涯働くわけではなく、地域のクリニックで働くこともあるでしょう。また、マイナー科へ進む先生もいるでしょう。強力な医療チームがない施設では、最速かつ最大の治療が出来ないからこそ、キャリアの初期にそれを経験し理解しておくことは、のちに大きな力になって必ず自分を助けてくれます。

救急外来には、さまざまな背景をもった患者さんが運ばれてきます。まさに社会の縮図で、救急外来はまさに社会の縮図ともいえるでしょう。そこで働く我々救急医が目にするものは、日本の社会の現実そのもの、を診ているといっても過言ではありません。南海トラフ地震も高い確率で日本を襲うであろうと言われており、超高齢化社会はすぐ目の前です。高齢者の運転や異常気候による災害も頻発しています。これから、我々救急医の需要はますます増え、日本社会を救うカギを握る診療科になっていくことを確信しています。

救急医を生涯やる必要はありません。ONのときは医者らしく、OFFのときは人間らしく、どこの科にいっても役に立つ、救急マインドを我々と一緒に学びませんか?