DHに思う
ご存じのとおり、指名打者(DH: designated hitter)は、野球の試合において攻撃
時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをさします。我々が現役のこ
ろDH制度はまだ西医体では採用されておらず、守備が下手であった私はよく先輩から
もDHがあればなあ、と残念がられたものです。かつては、試合で活躍する選手はどう
しても守備優先になり、打つだけ、走るだけ、という個性豊かな選手はなかなか日の
目を見なかった時代がありました。ところが、このDH制は、「守備はあまり得意でな
いからやりません」というのを許してしまったのです。投手は投げることに専念し打
席にも入らなくてよくなりました。野球も高度に専門化し、攻撃的でより緻密な競技
になりました。
DHの波は医療の世界にも波及しました。臓器別、疾患別に高度に専門化した医療は、
患者さんにとっても恩恵が大きい反面、専門志向の高まりとともに、「専門外だから
診ません」という医師が医療現場にあふれてきました。
内野の後ろには外野手がいてくれますが、打席には自分ひとりしかいません。打席に
立って、「カーブは専門外ですから打ちません」と一度もバットを振らずに撤退する
人はいないでしょう。変化球は得意ではないけれど、なんとか次の塁にランナーをす
すめよう、次につなぐために必死でボールに食らいつくでしょう。これはまさに我々
救急医がやっていることと同じです。
一方で、外野フライを内野手が深追いして、外野手と衝突し長打にしてしまうことが
あります。自分の守備範囲ではないのに、無理して取りに行くとかえって損失を大き
くしてしまいます。確実に打球を処理できる守備範囲を広くするため日々努力をし、
それでもとどかない場合には、残りの野手に的確な指示を出し失点を最小限に抑える、
これは、まさに我々救急医が日常的に行っていることです。
医学も野球も細分化される昨今ですが、走りこんで強い足腰があるからこそ粘りがあ
るプレーが出来ます。走攻守完璧であるのが理想ですが、そうでなくても、走攻守しっ
かり鍛錬した基礎があってはじめて名投手や好打者たりうると思うのです。
小手先だけの技術ではなく、打つ側の、投げる側の、守る側の気持ちを理解して、自
分の限界も知ったうえで全力でプレーする選手が、ここぞというとき最も力を発揮し
活躍してくれます。それは医療の世界でも同じ、広い視野で診療科の垣根を超えて患
者さんを診療し、日々鍛錬を重ねてこそ、高い問題解決能力をもった医師になれるの
です。それがまさに我々救急医だと信じています。